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劇団四季「ウィキッド」3回目観劇記(2):ウィキッド・スパイラル [観劇の記録]

2007年8月19日(日)ウィキッドのマチネ公演を観劇してきた。今日はその観劇記「その2」。「その1」にて記載の2ヶ月ぶり3回目の観劇の総評は、以下の通り。

やはり自分はこの作品が好きだ。すばらしい作品だ。待望の観劇にそれこそ今回も感激だった。沼尾グリンダ、成長していた。ワンダフル。濱田エルファバ、文句なし。グレート!その上で、3回目の観劇として、感じたことが大きく3つあった。

  1. 芝居が進化していた。それに伴って、自分の受け取りかたも変化した。
  2. オーバーチュアで涙が出た。「ウィキッドスパイラル」の予感がした。
  3. 思えば拙い演技ながらも初日の高揚が懐かしくもあった。

前回「その1」にて、「1.芝居が進化していたこと。それに伴って、自分の受け取りかたも変化したこと」について記した。
参照>>『劇団四季「ウィキッド」3回目観劇記(1):進化した芝居と見方の変化』

今回は、「オーバーチュアで涙が出たこと。『ウィキッドスパイラル』の予感がしたこと。」について。まず、「ウィキッド スパイラル」って何?ということを説明しないといけない。これは、あくまでも自分の勝手な造語だ。ちょっとチャート化してみた。


 



ウィキッドはファイナルとオーバーチュアが繋がっている。前回のファイナルのドキドキを忘れると途切れて、同じ感動レベルで堂々巡りだが、覚えていれば螺旋上に感動と理解が進化していく。
「その2」たる今回は、多分に分析的でいやらしい薀蓄交じり。「理屈ッチー」が生理的に受け付けない方は読み飛ばしてくださいm(__)m

自分は「オーバーチュアで涙が出る」ことがたまにある。さすがに自分にセルフ突っ込みがはいる。「オイオイ、まだ始まってないぞ」って。典型的には、「オペラ座の怪人」を久しぶりに見た時か?ラウル・シャニュイ子爵がオークションで競り落とした「さるの人形」。シンプルな単音のオルゴールの音がマスカレードの旋律を奏でる瞬間。


なぜ?と聞かれると、この作品については、あまりにも語るべきことが多いので今回は割愛。とりあえず、思いあまって、さるのオルゴールを買ってしまったことだけ。。。

 参照>>『さるのオルゴール』


ただ、オペラ座の怪人は自分が思うベスト・ミュージカル。本編で泣きどころが多数あり、それなりの回数(といっても20回位だが)も観劇して、みっちり頭に心に定着している演目だ。オーバーチュアのさるのオルゴールは一つのキューに過ぎないのかもしれない。たまたま、オーバーチュアだったということかもしれない。


では、今回のウィキッドはどうか?まず、オーバーチュアで泣くには早すぎる。3回目だ。定着なんかしていない。もうひとつ、たまたま象徴的な曲や場面がオーバーチュアにあったということでもないように思える。この作品は、「構造的にオーバーチュア(No One Mourns the Wicked)でジーンと来るようにできている」のだ。

今回自分がオーバーチュアで涙した理由は、単純だ。

今回のオーバーチュアは、前回のfinalの続きだから。今回のオーバーチュアが前回のクライマックスだったから。。。

ウィキッドはラストと冒頭が続いている。同じくテーマソング"No One Mourns the Wicked"が歌われている。それだけではないが、そのことは大きい。冒頭にラストと同じシーンを当てて、回想で本編を構成する手法はかなりオーソドックスだ。確かXX法とか名前があるようなものだったと思う。エビータ、李香蘭。件のファントムも近いものがある。ウィキッドは手法としては、ありきたりといえるだろう。

だとしても、その手法で簡単に前回と今回が繋がるわけではない。自分はエビータや李香蘭の冒頭で涙がでたことはない。ウィキッドはその繋がりが絶妙だ。だから、涙がでたのだ。繋がるためには、途切れた時間に感動(あるいは、「情動」)が維持されなければならない。そこでは、「観ない」時間の記憶の作用が重要になる。

ウィキッドは「観ない」間も記憶に残る。

それは、たぶんウィキッドという作品が本質的にもつ「後味の悪さ」によるものだろう。記憶は、すっきりと解決して終ったのものより、未解決な終り方、後味の悪いものがより残るものだ。古典的な記憶の理論に「ツァイガルニク効果」というものがある。心理学の教科書をみれば載っている。

参照>>『ツァイガルニク効果 - Wikipedia』


ツァイガルニクの研究は厳密には未完了な課題が記憶に残るということなので、芝居が途中で終った観劇とか、終わり方でもPartⅡを思わせるものとかが直接的な例となるだろう。しかし、自分は「後味の悪さ」もこれに該当すると思っている。演劇、映画、小説。創作物に向かうときにある期待はカタルシスで、本来すっきりした解決である。後味の悪さは、期待が解決されない状態なのだ。ちなみに、フランス映画はだいたい後味が悪い。自分は「天井桟敷の人々」という映画を学生時代に観たきりだが、未だにその白黒のいくつかの場面の映像を鮮明に覚えている。あの、中途半端なラスト。サスペンデッドな気分。自分にとっての後味の悪い作品の代表だ。

ちょっと話がそれたが、話を戻そう。ウィキッドだ。この作品は、派手な美術、卓越した音楽、主役ふたりの感動的な友情などのアトラクティブな皮を被った極めて息苦しい物語だ。
この点を、「ヤボオ」さんが自身のブログで端的に解説している。僭越ながらいくつかその記事から引用m(__)m

ストーリー的には合点がいっても、この作品は観たあとは必ず、どうしようもない後味の悪さが残る。その独特の後味の悪さがクセになり、また観たくなるという、まるで性悪女のような舞台である。
GravityをDefyingできてない
1幕の最後で、あそこまで高らかに「私を誰にも止められないわ!」と宣言しておきながら、二幕になると早々とネッサローズに「お父さんの力を借りたいの」と泣き言を言ってくる。拍子抜けもいいところだ。
ぜひ、次に観るときは、濱田・沼尾の熱演に目を奪われすぎずに、さまざまな角度で観てみるといいかもしれない。それによって、この作品の後味の悪さをじゅうぶんに堪能することができる。そしてその後味の悪さが、より多くの人に受け入れられるまでに熟成されたとき、この緑色のミュージカルは「まずい!もう一杯!」とリピートされるようになるだろう。

引用:ブログ見学商売: 四季「ウィキッド」まずい!もう一回
2007年7月14日by.ヤボオ


この作品の本質的「後味の悪さ」について、そして、それがリピートの源泉となる予言。自分が3回目の観劇に感じ、この記事で書きたかったことをほぼ言い尽くしていると思う。


後味の悪いことで、記憶の法則にしたがい、前回"final"のどきどきは、次回の冒頭に引き継がれる。前回に盛り上がったレベルで回想がはじまり、感動のシーンをなぞりながら、気づけば次回の"final"の盛り上がりは1ステップ高いレベルに至っている。その過程で、前回は見えなかった部分が「角度を変えて」見えてくる。理解が高まっている。高まった結果、残るのは何か?


後味の悪さだ。


そして、記憶の理論にしたがい、次回の冒頭にはまた涙するわけだ。これが、「ウィキッド スパイラル」。はまったが最後、どんどん、どんどん、進化する後味の悪さ。そして、病み付きになり逃れられなくなる。無間地獄。いや、こんな楽しい地獄はないので、あえていえば、「無間天国」。いや、こんな心おだやかでない天国もないか。。。。ああ、地獄なのか天国なのか?天国も地獄も紙一重?ま、いいや。楽しきゃいい。それで、いい。

最後に、「ウィキッド スパイラル」に嵌ったら自分はどこに行くのか?を考えてみた。

ウィキッドの後味の悪さって何か?それは、解決して欲しい現実世界や日常の悶々を解決していはいないこと。つまり、おとぎの国の中で日常が語られている。実は、そこは現実世界であり、日常であること、そのことが、より分かった3回目だが、自分の感銘はより深まった。感動から共感に変わったと「その1」で述べたが、つまりこれは「もうひとつの日常」なのだ。でも、グリンダとエルフィはますます可愛く、その友情は涙ものだ。身の回りにこんな素敵な友情があったら、人生があったら。。。。

飛躍があるかもしれないが、そのことを思ううち、「自分にとってのキャッツ」を思い出した。自分にとっては、キャッツの世界はあったらいいなの、もうひとつの日常。自分が生きているこの世界の片隅で、実はこんな世界が存在しているかもしれない。ちょっと、へこんだり、ちょっと何かを心に欲しくなった時に扉を開ける密かな空間。そんな積み上げ故に、そこでの時間はかけがえがなくなり、何かを刻みたい記念日とか、節目とか、そこで過ごしたくなる、帰っていく場所。キャッツシアターを訪れる時、自分は「ただいま」と言ってしまう。そんなことを何度か記した。
参照>>『また、ネコで始まる1年:キャッツ(CATS)五反田/大崎 2007』
参照>>『ネコで終わり、またネコで始まる』
参照>>『五反田(大崎)キャッツ2周年』
参照>>『五反田(大崎)キャッツ1周年』

もし、オズの世界がもうひとつの日常となり、ふと、何かの拍子に大好きなグリンダとエルフィに会いに行きたくなる、そんな世界になったとしたら。。。。
自分は、初日公演の観劇記で「初日にして2度目。確信した。これは、「オペラ座の怪人」「レミゼラブル」級の感動作品だ。」と記した。
参照>>『劇団四季「ウィキッド」初日公演 観劇記』
でも、もしかしたら違うかもしれない。このままウィキッド・スパイラルに嵌って進化し続けたら、この作品は「キャッツ」級のかけがえのない作品になるかもしれない。

ちなみに自分は、「オペラ座の怪人」の観劇は偉そうにベストミュージカルといいながら20回程度。キャッツは分かる限り70回以上は観ている。こと、キャッツに関して言えば、ネットで知る限りでも3桁観劇の人たちは珍しくない。少なくとも、自分は究極のリピート作品と思っている。


もしかしたら。あくまで可能性だが。


この作品は、キャッツ級の究極のリピート作品になるかもしれない。。。。

今日はここまで。

次回は、なんとか、


3.思えば拙い演技ながらも初日の高揚が懐かしくもあった。 


について語りたいと思う。気力続かず、一週間がかりの掲載となっているが。。。。

参照>>『劇団四季「ウィキッド」3回目観劇記(3):初心へ小さな感傷』


続く。。。。。


劇団四季公式HP :http://www.shiki.gr.jp/
ウィキッドスペシャルサイト: http://wicked.jp/index.html

■公演日程 2007年6月17日(日)開幕~ロングラン公演
(2008年4月6日公演分まで発売中)
■会場 電通四季劇場
■料金 S席/11,500円 A席/9,450円
B席/6,300円 C席/3,150円
■予約方法 0120-489-444(劇団四季予約センター)
■問い合わせ 03-5776-6730(劇団四季東京公演本部)

 

いろんなblogにみるウィキッドの「後味の悪さ」;

  • 見学商売: 四季「ウィキッド」まずい!もう一回!:洞察鋭く創造的視点のヤボオさんのblog『そしてその後味の悪さが、より多くの人に受け入れられるまでに熟成されたとき、この緑色のミュージカルは「まずい!もう一杯!」とリピートされるようになるだろう。』


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