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深大寺「だるま市」 [相模原・町田&多摩]

今週末は全国的に3月3日のひな祭り。しかし、うちの馴染みのお寺では関係ないお祭りをやっていた。「ミミの日@@!」じゃないよ。「だるま市」。調布にある深大寺では、恒例行事のようだ。

我が家は実家の親族と共に、毎年正月に深大寺に詣でる。これは昔、近所に住んでいたことに基づくもので、かれこれ40年弱にわたる習慣である。

毎年、深大寺そばをたべ、ダルマを買う。しかし、今年の正月、自分は役を終えたダルマをもってくるのをわすれ、納めることができなかった。そんなわけで、この3月3日の「だるま市」にやってきたわけだ。

だるま市には、調布からバスに乗ることに。車は周辺道路の渋滞、交通規制、駐車場の心配などがあったため。

実はだるま市に来るのは初めてだ。深大寺では大きな行事だとは聞いていたが、正直、ちょこっとしたものだと思っていた。正月くらいに盛り上がっているのかな?

...... それどころではない。

 

この盛り上がりは予想外だった。正直愕然とした。予想外の露天の数、予想外の人手。。。。


 

正面山門上からみた参道から臨むと参道はいも洗いの状態。思わず吐きそうになる。

まあ、いい、目的は正月に返し損ねただるまさんを納めることだ。人込みをおしのけ、なんとか本殿脇にたどりつく。あった、「だるま納め所」。

役目をおえて祈祷と共にお焚きに伏されるだるまたち。このおさめどころにはそんなだるまが山と積まれていた。
ふ~~。。。とにかく目的は果たした。あー、しかし、こんなに混んでるなんて。

でも、深大寺に来たら、そばを食べなきゃ。正月は駐車場の関係から、一番東のお店で食べることに決まっているが、今日はバスで来たわけだし、たまには違う店で食べてみようと思う。わりと西よりの「青木屋」という店で、せっかくだから味比べ。自分は毎年、「なめこそば」つれは「山かけそば」を食べることに決まっている。なんといっても、恒例行事なわけで(正月は)。

 


 

自分の注文。なめこそば。正月に「決めている」メニュー。青木屋はほうれん草がのっているところが違う。なめこもこうしてみるとやけに表面を占領している。
ま、いつもとは違うし、ほうれん草やなめこの量でもちょっとこっちの方が買っている気もする。

しかし。深大寺のそばはそんなに上等なものじゃない。おいしいそばではない。はっきりいって、味は「駅そば」だと思う。本来、もりそばで味を確かめるべきで、それが「深大寺そば」と銘打っているのでもあるが。かつて、それを食べても同じ感想をもった記憶がある。

にも関わらず、毎年たべるのは、恒例だから。

深大寺だるま市のスライドショー

つくづく思うのは、この寺も、この行事も、特に知らない人にお勧めするものではない。ここは、小学生の頃から正月に詣でるふるさととしての場所。小さい頃のちょっとしたエピソードが思い出されるところ。極めてプライベートな場所だ。

というわけで、今回は、ここにまつわる思い出話を、GREEの日記から転記してみます。長文なので、たぶん読む方はまれでしょうが(^^;


お題(1):「10円を笑うものは...10円に泣く。」



あ、これ「1円を笑うものは1円に泣く」だったっけ?

遥か昔、小学4年生の頃そんな体験をした。当時、武蔵野市のはずれの小金井市との境に近い玉川上水端に住んでいた頃の話。特に保護者もなく、友人たちと深大寺に遊びに行った。我々の家からそこにいくには、三鷹までバスに乗り、三鷹からまた深大寺までバスにのる。そのバス代が悲劇の始まり。

小銭程度の小遣いしかもたぬ小学生。深大寺の露天であれこれ買い食いするウチ、カルメ焼きだかなんかを買おうとして、ふと、気がついた、「これかっちゃったら三鷹からのバス代がない!」。と、とても気のいい友人たちは「いいよいいよ、バス代は貸してあげるからさぁ、食べようよ」。自分もすっかりその気になった。カルメ焼き、おいしかった(*^-^*)

だが。

この時、「バス代」を借りずに「カルメ焼き」代を借りるべきだったのだ。これは、あとになって分かったことで、大人になった今でも教訓にしている。

子供には何が起こるかわからない。いつも仲良しの気のいい友達と自分なのに、なぜか、ちっちゃいことでケンカをし、一人で帰ることになったのだ。

でも、自分は自信満々だった。「三鷹までいければ、歩いて帰れる」。家族と一緒に散歩がてら、帰った記憶もあった。しかし、そこに慢心があった。

深大寺から乗ったバスは、三鷹行きでなく、「吉祥寺」行きだったのだ!ああ、まぬけな小学生。バスの終点で降りてみて、駅が違うことに愕然とした。今なら、平気で歩ける距離だが、身長が今の半分の頃のこと。その違いはとてつもなく大きく感じられた。すでに日は沈みかけていた。

吉祥寺も初めてではない。よし、歩いてかえるぞ!と、ひとしきり歩いて周りを見回すと、井の頭公園に来ていた(;_;) 

家とは真逆だ。そして、すっかり周囲は真っ暗になっていた。

自分は慌てて、吉祥寺の駅に走った。走るうちに、半泣きになっていた。

駅の少し前で、信号待ちしていると、大学生位のおねえさんに道をきかれた?「わかんないよ!」とべそかいて言い放つ自分。もう自分のことでいっぱいいっぱいだった。なんて、無礼な、なんてひどい態度を(;_;)

もう、ここから歩いて帰るのは無理だと思った。自分のJRの最寄り駅は武蔵境、当時吉祥寺からの子供料金はなんと「10円」だった。

吉祥寺の駅につき、駅ビル、ロンロンの商店街で、おばちゃんに声をかける「あの~」。「何?!!」と見られる目がとても怖かった。どうしても、「10円かしてもらえませんか?」と言い出せなかった。そんなことを何度か繰り返して、呆然とたたずむ、駅の自販機の辺り。

ふと見ると、優しげなおねえさんが自販機の前にいた。とてもとても優しそうにみえた。自分は今度こそ意を決していった「10円貸してください!」。声はもちろん半泣きだった。

「いいわよ(^-^)10円でいいの?」

そう覗き込まれた顔は、さっき、信号で無碍に突き放したおねえさん、その人だった。。。。おねえさんも、気づいているようだった。鬼のような自分に、仏のような親切。

気の効かない自分は、名前も住所も連絡先もきくことなく、とにかく、その10円で切符を買ってJRに乗り、家に走って帰った。「貸してくれ」といったのに返せないじゃないか!!!

家についたとたんに、涙が止まらなくなって、その時だけは、母もやけにやさしかった。

自分はとびきりの10円を踏み倒してしまった。それは今でもちょっとした心の傷となっている。とってもありがたかったおねえさんなのに、顔のディテールも全く覚えていない。けど、なんだかぼんやりしたその顔は、思い出すと心の奥から遠赤外線が発せられているように暖かい気分になる。その後、知識として得た、「聖母」とか「菩薩」とか「天使」とか、そんな言葉にはそのぼんやりとした、おねえさんのイメージがいつも重なる。

ああ、しかし、自分は恩返しもすることができない。

お題(2):「続き:恩返し編」

前の日記で小学生の頃、優しいおねえさんから10円を借り、踏み倒した話を延々と記した。

これはその続編。

それからしばらくはそんなことも忘れてしまっていた高校生のある時。

通学帰りの江古田のホームで、ボーっと佇んでいると、行儀よさそうな小学生の女の子がちょっと困っている様子だった。公衆電話をかけたそうだったが。

そうこうしていると、その子はトコトコと自分の方にやってきて、ちょっととまどいながら言った。「あのぉ、100円を10円玉に両替してもらえませんか?」

小学生の女の子は、高校生の野郎は恐いにちがいない。でも、周りには自分だけ。きっと勇気はいったな?で、自分は財布を見るが、10円が10枚もあるわけない。そんなの嫌いな性格だし。

「ああ、両替はできないけど、10円玉ならあげるよ。電話するんでしょ?」

女の子はちょっと困ったようだったが、「いいんですか?」「うん(^^)」「ありがとうございます」と、ペコリ。

「10円でいいの?」

と聞いた自分の言葉で、忘れていたあのときの親切なお姉さんのぼやけた顔がフラッシュバックした。

そして、女の子を前にドキドキしてしまった。普通の行儀のよい小学生に恋をしたみたいだった。げ?ロリコンか?オレ。

ちょっと離れてそ知らぬふりでいる自分。女の子は電話を終え、自分を一瞥して、軽く頭を下げ、去っていった。そのわずかな時間、なんだかドキドキしている自分。

理屈にあわないけど、あのおねえさんが、自分の後悔を知り、姿を変えて会いに来てくれたようなそんな気がしてならなかった。何年も忘れていたのに。

そして、自分はすっかり恩返しをした気になっていた。なんて自分勝手な。

でも、それでいい。とも思う。

誰かにもらった親切を、誰かに返す。

それでいい。それがいい。


お題(3):「小さい女の子(のモチーフ)」

前の前の日記からの続編。

高校時代、江古田のホームで出くわした小学生の女の子に危うく恋を仕掛けた自分。

もちろんそれは恋ではなく、ドキドキは自分の後悔が蘇ってうずまいた混沌とした感情。

で、なんで何十年も前の高校時代と小学生のエピソードを思い出したかということ。連想の作用。

きっかけは、録画されていた「翼の折れた天使」というドラマで、ラストシーンで小さく生まれ変わったヒロインが倒れた自転車を直していると、小学生らしき女の子が通りかかり、手伝ってくれた。今まで笑うことのなかったヒロインが、女の子に拙く笑いかけ「ありがとう」という。

自分の心境の変化や、解決が、あるシーンで描かれる。そこに象徴的に登場する小さい女の子。

TVドラマから、江古田のホームの女の子を連想し(前の日記)、そこから小学生の頃の優しいおねえさんのぼやけた顔を連想した(前の前の日記)。そこに小さい女の子のモチーフがある。

余談ではあるが、昔読んだ小説にもそれがあった。
サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」
さらに、そのラストシーンをパクッタ疑惑もある
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」
などなど。

何の象徴なのか?自分にとっては半べその小学生の自分とその時のお姉さんが混じったもののように思う。全くプライベートな話だが(^^;


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