SSブログ

ハワイ島(5):プールサイドで読書 [海外旅行記:ハワイ島]

帰国して2週間余りを経たハワイ島旅行。今回は、プールサイドの時間について記して最後にしたい。

ここまで、初の直行便とコナコーヒー園のこと
参照>>「ハワイ島(1):ハワイ島到着&コナコーヒー農園」
毎日ロマンティックな夕日を眺めてすごしたこと
参照>>「ハワイ島(2):サンセット@ワイコロア」
宿泊したホテルは広大で、メンバーのアップグレードもあって快適だったこと
参照>>「ハワイ島(3):宿泊はヒルトン・ワイコロア・ビレッジ」
旅行の目的のひとつが「星をみること」でそれは一種の原点回帰だったこと
参照>>「ハワイ島(4):満天の星空」
などを記してきた。深夜に星を眺めてすごしたため、プールサイドに出るのは毎日昼過ぎとなっていた。

もともと、ハワイ島の場合、ワイキキと異なり遠浅ではないので、ビーチで泳ぐことはあまりない。

ホテルには湾の一部を仕切って作った「ラグーンビーチ」なる海水プールがあり、そこはオアフのハナウマ湾のようにシュノーケリングができたりする。そこで競泳用のちいさなゴーグルだけつけ、適当に泳いでいると、澄んだ水の底にたくさんの魚、銀色で長いものや、きれいな色の(エンジェルフィッシュのような)縦に平たいものが小さな群れで泳ぐのが見られる。また、「足に何かあたったな」と振り返ると、海亀が手を羽のように動かしてのんびりと泳いでいたり。


 



そんなのどかな光景を眺めながら、ひとしきり泳いではプールサイドに上がってテント付のビーチシートに寝転がって、音楽をきいて昼寝をしたり、読書をしたり。とにかく、「何もしないでのんびりする」という贅沢な時間をすごしていた。



日本からは、5冊の文庫本を持って行き、ひたすら読んでいた。天童荒太の「永遠の仔」の文庫版1巻~5巻。読み捨てにできるようにブックオフで購入してきたものだ。

永遠の仔〈上〉

永遠の仔〈上〉

  • 作者: 天童 荒太
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1999/02
  • メディア: 単行本
原点回帰を期して行ったハワイ島のプールサイドでひたすら読んだ本。 自分にはこれだけの深刻な幼少期の心の傷はないけれど、何かに囚われて嘘の中で生きてきた息の詰まるような人生には共感した。 そして、立ち帰りたい束の間の救いの瞬間。 ひたすら誰かの一人称で心の内面を描き続ける。随所にみられれるその描写の細やかさにすっかり自分も移入し、何度か涙させられた。


あまり考えずに選んだ本だったが、後から考えるとリゾートには似つかわしくない、むちゃむちゃ暗くて気の滅入るような本だ。でも、その序章を読み始めたとき、

これは今回のテーマに嵌っている

と直感し、以降、夢中になって読み進めてしまった。

 (以下、小説のネタバレあり。また、センチメンタルな昔語りなのでその類が生理的に受け付けない方は是非読み飛ばしていただきたい)

前回のブログにて、自分が星を観ることに「原点回帰」の思いを込めていたことを記した。小学生の頃に感じた宇宙の大きさ、その感覚に立ち帰ることが日常の鬱屈からの「救い」になるのではないか?そして、10年前に同じ思いで訪れたマウナケアでは悪天候によりそれが果たせなかったこと。

小説の序章では、小学生時代の主人公の少女と心の友たる少年二人が「救い」を求めて「神の山」の山頂を目指す。彼女の求める「救い」は神による「生まれ変わり」であり、少年二人には現世の滅亡後、苦しんだ自分たちだけが神により選ばれる「救い」。しかし、三人はブロッケン現象による神秘的な「光る人」と出会うものの、結局神による「救い」は訪れない。 「テーマに嵌る」と思った理由のひとつは、この類似性だ。「ここに行けば何かが起こる」。救いがあるかもしれない、思い続けた期待と、果たされなかった結果。その落胆。そこに共感したのだと思う。

もうひとつは描かれている子供たち。彼らは等しく幼少時代に親に虐待を受け、心の傷を負い、とある児童精神病院に入院をしている。そこで描かれる病院や患者たちの風景。 ふと蘇る心象風景があるのだ。 ほんのわずかの体験だが、学生時代に実習で訪れた精神病院でみた光景。入院患者たちの集うレクリエーション、そこでの対話、場にみなぎる空気、特に分裂病患者の間に存在する無機的な空気。対面しても一切交流を感じることのできない見えない壁。その肌感覚。人と人がそこに居るということを感覚的に否定されているような不気味な状態。ちょっとショックで、説明が難しいけど、背筋が凍った。 その感覚は進路に迷う当時の自分に、自分の志の根源を問い直すことを強く促し、決定的に思い知らされた。自分は心を病むものを救いたいのではなく、単に人やその心に関心があるだけだということ。そして、彼らの前に立つ者は、絶対に関心だけではなく「救う使命」に基づかなくてはいけないこと

自分は挫折した。

小説に描かれていたのは、自分の体験そのままではない。病棟の子供たちも分裂病ではない。でも、ひとたび患者の視点から描写されると、そこには通じるものを見出せると思った。干渉を拒み、他者との感覚的交流を遮断している心。 そんなわけで、もうひとつ回帰すべき原点を思い出したのだ。心病めるものを救いたかったある時期の自分か?いや、むしろ、それが違うことを思い知って別の道を選んだという事実。そこからはさらに曲折を経たものの、ひとつの分岐点となって今に繋がっているということ

小説を読み上げたのは結局、帰国してから約一週間を経てからのことだった。プールサイドの時間によって、なんらか原点回帰をし、何かを思い出したかもしれない。でも、そのことが鬱屈した日常からの救いになったかというと、それは分からない。ただ、以来ずっと。。。

 復帰した日常を一歩引いて眺め、再考する

そんな日々を送っている。

フルスクリーンで>プール&ビーチ@ワイコロアのスライドショー
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(4) 
共通テーマ:旅行

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 4

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。