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コーラスラインに [観劇の記録]

名古屋に行ってきた。この週末。特別な理由はないが、万博のせいで足が遠のいていたため、名物の食べ物が恋しくなったのと、劇団四季のある演目が京都から移動して来たこと。それが理由か?

新名古屋ミュージカル劇場

その演目はコーラスライン(A CHORUS LINE;以下ACL)。1975年にオフブロードウェイから生まれた、古いミュージカル。マイナー出だが、それまでのブロードウェイロングラン記録を塗り替え、6137回を達成、CATSに塗り替えられるまで一時代を築く作品となった...とここまでは劇団四季の受け売り。ただ、自分の記憶の中でも、高校時代にぴあテン、もあテンの演劇部門トップを飾り、劇団四季が子供ミュージカルの劇団でないことを知らされたのが強烈に残っている。

ストーリーはこちら。。。劇団四季HP:ステージガイド

(以下、長文)

地味な舞台だ。ディズニーもCATSもオペラ座の怪人もレミゼやミスサイゴンも大作は大掛りな装置と派手な美術が当たり前だ。だが、ここにはかけらもない。舞台奥に鏡が現れるシーンも挟まれているが、基本は、舞台の上に一本の線が引かれているだけ。そこに十数名のダンサーが登場し、歌と踊りを交えながらこれまでの人生を語る。それだけの舞台だ。

にもかかわらず、一時代を築いた名作なのだ。自分が思うにその理由は、観る人のいろんな人生を重ねて考えさせられ、感動する、そんな作品だからだろう。しかも、人生のステージ毎に重ねる部分が違ってくる。その時、その時で感動のツボも異なってくる。人生のスパンで長く見続けられる独特の作品

何か身につまされる部分があるのだ。雑誌の企画で俳優たちが投票すれば、未だに一位に選ばれる。オーディションの設定。踊れなくなったらどうする?俳優/ダンサーたちにとってはまさに自分の問題なのだろう。そして、スポーツ選手や多くの「若い」頃にしか向かない職業も。

どこかにも書いたが、ここにはより一般的な課題も盛り込まれている。決してそこより前に出ることのできない見えない「コーラスライン」。スターを彩る額縁に過ぎず、決して目立つことはゆるされない。そんな立場でもがく姿。そこから抜け出しはいあがり、常に上を上をと追い立てられ、いつしか大事なものを見失っている姿。額縁に過ぎない立場でも、それぞれに人生があり、ひとりひとりが素晴らしいというメッセージ。いろいろな過去の中でひとつの「夢」を持つにいたった多くの物語。そんな「夢」でもいつか捨てざるを得ない「生活」の重さ。そんな時が来ても「夢」を選択したことを悔いない信念。

だれにも、どこかに泣きどころがあるのではないかと思う。

さて、自分は?今回は?主要な3つの役に照らして述べてみたい。(いよいよ長文)

キャスト表。

ディアナ:「ナッシング」「愛した日々に悔いはない」という重要な曲を歌い、「夢」を選びそれを悔いない前向きさを訴えるプエルトリコのダンサー。今回キャストは吉沢梨絵。大事な歌なだけに、歌唱力には辛いところを感じるが、アイドル出の割りに豊かな表現でなかなかの演技。演じるべきキャラクタをしっかりと描いていた。
過去、自分の今に疑問を感じて、かつての進路の選択に自信をもてなくなった時、仕事に挫折し、次に希望をもてなくった時、たびたび励まされたキャラクタであり、歌だった。
今回も、そんなところを感じた一方、どこか鼻につくものも感じた。ディアナはある意味感受性の乏しい勘違いなラテン女性だ。挫折の中でサンタマリアに導かれ、開き直って見事に女優になった。だが、憎き恩師の死に何も感じない自分に気づかされもする。本質的な欠陥に目をつぶって、女優を誇示するがコーラスラインだ。勘違いだけど自分を信じて動じない。自分はそれでいいが、周囲に押し付け説教をする姿には鈍感さも感じる。「生活」の重さに悩む言葉に共感し、説教たれるラテン女を疎ましく感じる。自分のオヤジ感覚が淋しくもある。

キャシー:ブロードウェイで2回、ショーストップの喝采を浴びたスターで、演出家ザックの分かれた妻。堕ちたスターの自堕落な生活からはい上がり、もう一度コーラスラインから再起を図る。今回のキャストはSong&Danceで一躍脚光浴びたが、とりたてて主役になることなかった坂田加奈子。踊りは抜群だが、歌や演技がよっぽどダメなのだろうと噂されていた。ところが、どっこい。歌もまあまあ、演技もしっかり。踊りは力強く、思いを強烈にアピールして「さすが」のひとこと。ここしばらくのキャシーの中では最も良かった。役どころにリアリティがあり、とくに役作りが不要だったのかも知れない。ザックとの関係にもリアリティがあって、今回の配役は生々しいとの噂もあったり。。。
この役の見所はザックとのやりとり。コーラスラインに戻りたいとザックに懇願する彼女に「君がやりたいことはこんなものか?彼らは額縁にすぎない」というザックの言葉の悲しさ。でも「ひとりひとり素晴らしいひと!」「私はこのコーラスラインにはいりたい!」という言葉に過去なんども泣かされてきた。今回もまたしかり。
ただ、今回はもうひとつ、ザックに投げかけることば、上を上をと目指し、キャシーを置き忘れたザック。その愛を得たくて、必死についていっていたキャシー。そして、その結末。あなたは誰になろうとしているの?というキャシーの叫びが痛かった。しばらく、座り込んで何もできないザックの姿に、心境が重なってしまった。自分はキャシーを置き去りにはしてないが。

ポール:ダンサー各自が語る物語の中で、最も泣かせるのがポールの逸話。(ゲイの)カミングアウトのその話は、万人を泣かせるものだ。最後に足を怪我し、みんなで語り合うきっかけを作る。今回のキャストは望月龍平。名古屋キャッツのミストで見た時は否定的にみていたが、その後、「ひかりごけ」での好演を見て評価を変えた。自由劇場でもよく使われる演技だ。これまでのポールは結構繊細なイメージの役者ばかりで、どうかと思ったが、なかなかよく演じていたかと思う。
万人を泣かすポールの話。とくにポニーの格好を親に見られたときの、母の言葉を背に聞く状況は想像して胸がつまる。そして、その後に親のかけることば。子供がいなくても泣けてくる。今回は、ついでに、はたらくゲイの舞台のひとびとが「誇りなくはたらいている」ことにポールが嫌悪を覚えた件にちょっと痛いものを感じた。そんなカケラが随所にちりばめられている。きっと、芝居に入り込めば、どれかには当たるに違いない。

今回のACL。生活の重みを語る気分に共感し、また、ザックの立場でキャシーの言葉にグサリときた。久々のため、緊張感のあるオープニングの音楽にどきどきし、自分の決めたいつもの泣きどころで涙し、シーンとしては、キャシーのダンスに特別に熱い思いを感じた。

何年か後に自分がここに何を感じるのか、楽しみだ


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